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 それでも数に勝る墺軍はピエモンテもう一つのポー川支流セージア河畔のヴェルチェリ(トリノ北東64キロ)まで侵入し伊首都を脅かしますが、ここで到着した仏軍が伊軍と共に首都防衛線を張り、ミラノ東方を流れるポー川(イタリア北部を横断するイタリア最長の大河)に架かる二つの重要な橋(ヴェルチェリの南21キロのカサレ・モンフェラートとその南東20キロのバレンツァにある)をしっかり押さえ、この付近に大軍を集合し始めたため、墺軍は側面攻撃を憂慮し一旦後退して態勢を整えるのでした

ギュライ 5月20日、墺軍は再び南方からトリノを目指し、モンテベッロ(・デッラ・バッターリア

ミラノの南52キロ)付近で戦闘が発生、これが第二次イタリア統一戦争中「オーストリア=サルディニア戦争」の初戦となります

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 戦闘はシュタディオン将軍の墺第1軍団とエリ・フレデリック・フォレ将軍率いる仏第1軍団第1師団に伊軍騎兵隊との間で行われ、墺軍は仏軍の三倍近くの戦力だったにも係わらず精悍な仏軍と勇敢な伊騎兵に痛打された墺軍が退却する羽目に陥り、更に5月31日、パレストロ(ヴェルチェリの東南東9キロ)の戦いで数に劣るシャルディーニ将軍の伊軍第4師団と仏ズアーブ第3連隊に墺第7軍団が敗れ、この敗戦の報を受けたギュライ将軍は益々慎重・消極的になってしまいます

 6月に入ると、ギュライ将軍はロンバルトの主邑ミラノを守るため街道が集中するティチノ東岸のマジェンタ周辺に軍を集合させるよう命じ、バラバラに散ってしまっていた墺軍各軍団は中央からの統率なく思い思いに行軍したため、伊と仏にとって格好の戦機が訪れました

モンテベッロの戦い☆ マジェンタの戦い 1859年6月4日

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「マジェンタの戦い」が発生します

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 マジェンタはロンバルト王国の主邑ミラノの西方24キロ、サルディニア王国(伊)ピエモンテ地方とロンバルト国境ティチノ川に近い要衝で、郊外には小川や灌漑水路が縦横に走る果樹園が広がり大軍の運動を妨げていました

この日の朝、墺軍はクラム=グラース将軍の第1軍団をマジェンタとその周辺、シュヴァルツェンベルク将軍の第3軍団をその南方7.5キロのアッビアテグラッソの街に置き、その東からはシュタディオン将軍の第5軍団が接近中でした

その兵力総計は62,000名と伝わります

 クラム=グラース将軍はマジェンタ周辺の農家や市街地に防御を施し拠点としたため、この地域を占領するには激しい白兵戦を覚悟しなくてはなりません

 ここで墺軍と対峙したのは、ティチノ川を一昨日2日にトゥルビーゴ(マジェンタの北西13.5キロ)で渡河したマクマオン将軍率いる仏第2軍団と伊軍マンフレード・ファンティ将軍率いる第2師団に、西側ノバラ(同西20キロ)を越えてティチノ沿岸に接近する仏近衛軍団(総計59,100名)で、最初に投入されたのは未だナポレオン1世時代の制服を纏った仏近衛軍団の擲弾兵第1旅団およそ5,000名でした

マジェンタの戦い・開戦前両軍布陣図 4日早朝ティチノ川を渡河して襲撃する仏近衛兵に対し防御に徹した墺第1軍団は激しく抵抗し、有名な仏外人部隊も増援で参戦しますが橋頭堡を確保するのが精一杯で市街に突入することが出来ませんでした

その後方ノバラからはカンロベル将軍の第3軍団も進みますが戦線に到着するまではかなりの時間を要します

 その後北方から進撃するマクマオン将軍は隊を分割し、一方を元内務大臣のシャルル=マリエ=エスプリ・エスピナス将軍が、片方をジョセフ・エドゥアール・ドゥ・ラ・モット・ルージュ将軍が率いてマジェンタへ突進しクラム=グラース墺第1軍団と激闘になりました

 しかし南から増援(墺第3軍団)が到着し墺軍は戦力をほぼ倍増させたため、一時は仏第2軍団が壊滅するのではと思われるほどの劣勢となりましたが、午後に入ると西から攻撃する近衛擲弾兵旅団は再びマジェンタへの突進を開始、アフリカ出身の兵士からなるズアーブ兵を先頭に銃剣突撃を幾度も繰り返し、旅団長のジャン・ジョセフ・ギュスターブ・クレア准将も壮絶な戦死を遂げる中、遂にマジェンタの西を南北に走るナヴィーリオ・グランデ運河に架かるヌオーヴォ橋(現・ポンテ・ヌオーヴォ

マジェンタの西2.5キロ)を占領し市街地への突破口を開くことに成功します